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- 石井郷(中世)とは
「石井郷(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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石井郷(中世) 室町期から見える郷名高野郡のうち応永24年9月20日の結城満朝寄進状(八槻文書/県史7)に「石井郷内大内村年貢銭合五貫文」とあるのが初見で,当郷内大内村の年貢銭が八槻近津社(棚倉町)に寄進された永正7年7月吉日の結城政朝寄進状(同前)には「近津大明神……石井郷堀内毎年可進申候」とある天正年間には狐館(矢祭町大字中石井)の城主は,小枝左衛門尉であったという(白河古事考・奥羽永慶軍記)中通り南部,久慈川上流域の棚倉町南端部,塙町西部の大字上石井,矢祭町北西部の大字中石井・下石井一帯に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石井郷(中世) 鎌倉期~南北朝期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石井郷(中世) 南北朝期に見える郷名尾張国春日部郡のうち応安4年9月6日の崇光院院宣写によると,四条家領であった篠木荘は,応安4年度の伊勢神宮造営料所16か所には含まれていなかったにもかかわらず,「押入・石井両郷」が造営使から譴責を受けている(円覚寺文書/大日料6‐34)当郷は篠木荘に属していたことが知られるが,その後の経過ならびに現在比定地は未詳である... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」